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屋根に穴 [吉村家住宅あれこれ]

朝から 茅葺屋根の修理を担当してくださる

業者の方が、屋根点検に来て下さいました。

客間の北のカヤに深い穴が見つかりました。

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(上部中央に穴)

これを放置すると梅雨時に被害が広がる

との事で、差し茅補修をしてもらいます。

カラスが1,2本茅を遊びでもっていく程度は

許容来ても出来ても、集中的に深くほじくられるのは

大困りです。

天敵のいない地域ではカラスがどんどん増えて

いるようですね。

増えすぎない対策案はないのですかね?


花は静かに咲いています。

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たけのこ掘り [イベント紹介]

雨上がりの一日、「羽曳野街歩きの会」の

皆さんが、タケノコ掘りに来てくださいました。

淡竹(はちく)です。

6日ほど前にも掘ったので、数が足りるかなと

心配しましたが、約70本ほど採れました。

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ついでに、竹の花入れ用にと竹を切って

お持ち帰りになりました。

足踏み用の竹も、物干し用の竹も。

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いろいろな用途に竹を使っていただくのは

うれしいことです。

ご希望あればどんどん竹を使ってください。


春の公開終わりました [お知らせ]


春の公開が終わりました。

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桜は散ってしまいましたが、好天に恵まれ、

思いのほかたくさんの方々に来ていただきました。

 

こんな方も両日来てくれました。

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千葉、東京、名古屋、京都、徳島などからも

沢山来てくださり、建築関係の方も多く、

コロナ明けを待っていたともらされる方も

おられました。

 

今回も「保存会」の皆さん、「羽曳野街歩き」の

皆さんがたくさん協力してくださり、無事終了でき

本当にありがとうございました。

草刈り終わりました [お知らせ]

絶好の好天に恵まれ、吉村家住宅の草刈りと

庭掃除が終わりました。

15人ほどの方々が参加してくださいました。


庭木の剪定も、この間 庭師の方がやって

くださっています。

来週の公開が楽しみです。

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(原画は縦になっているのに、アップすると横になります。

 後日修正します)


大木切断 [お知らせ]

またふるい庭の古い大木が切断されました。

今回は、突然枯れた槙の木の伐採でした。

それと楠が大きくなりすぎ、ご近所にご迷惑を

かけるので、一部伐採しました。

古い大木の伐採は、去年から数えると7~8本

になるでしょうか、寂しい気持ちになります。IMG_5678-1.jpgIMG_5670-1.jpg

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(写真を縦横合わせたいのですが、うまく操作

できなかったです。スミマセン)



今年の桜もう九分ほどです [お知らせ]

今年の桜は、吉村家住宅ではもう九分程度咲き

ました。

4月8日、9日の公開時には、散って、

どれほど残っているでしょうか。残念です。


4月1日の草抜きの日がちょうど満開日になり

そうです。

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2023-03-07


吉村家住宅の春の公開が下記のように決まりました。

          記

日時 2023年4月 8日、9日 10時~16時

                9日は15時まで)

入場料 500円、会員無料 (事前申し込み不要)

 

皆様のお出でをお待ちします。


(なお、4月1日10時より、吉村家住宅の草刈り、掃除を

 実施します。お手伝いいただければありがたいです。

   当日可能な方は 072-938-9872 までご連絡ください

当主の随想 Ⅲー5 [吉村家住宅あれこれ]


「昭和二十六年の大修理のとき、一番熱心に働いたのも、

わたしの母なんです。 役所やら関係方面への陳情も

ひとりで走りまわりました」


吉村さんの母堂タキさんは、十六歳でこの家に嫁入りし、

しうと、しうとめのほか小じゅうとを入れると七人という

大家族のなかで、「気がきかん」といっては、いつも叱ら

れていたそうである。

むしろ気の弱い若奥さんに過ぎなかったが、戦後になると

「この家はわたしが守らんと・・」といい出し、

文化財保護修理の実現へまで事を進めたのである。


しかしタキさんはその過労のためであろう、修理の終わる

前年の二十八年二月十八日、脳溢血のため急逝した。

まだ五十歳という若さであった。


「わたしが保存活動に踏み切りましたのも、母の死があった

からなのです・・」 吉村さんはそこで声を落とした。


縄文時代、男たちは狩猟に出歩き、女たちは竪穴の巣を守り

ながら土器を作った。そんな太古から家を守るのは女だった。

それで、家霊は主婦に憑く・・という。


吉村さんがいうように、今日まで残された民家は古いみんかは、

たいてい女の力で守られてきたのにちがいない。


                     (おわり)


  (読みにくい文章を長い間お読みいただき、ありがとう

   ございました。これで、いったん休載します。

   また機会があれば投稿したいと思います。)


         

当主の随想 Ⅲー4 [吉村家住宅あれこれ]


それから、吉村さんは面白いことをいった。

「古い家はどこでもそうだと思うんですが、こんな古い家を

きょうまで持ちこたえたのは、たいてい主婦の力じゃないでし

ようかね・・」

河内平野の富裕な大庄屋であった吉村家も、明治維新では

武士に高額の金を貸していたのが踏み倒され、困窮した。

近親集まって、家も縮小することにと話し合った。

そのとき、たったひとり反対したのは当時の主婦、「ゆう」

あさんだったという。 「わしは近いうちにお墓にはいって

ご先祖におめにかかるが、家をこわしたとあってはどないいう

て申し開きしたらええか?お前らもそのうちお墓にはいるが

どういう気か?」と粘りぬいた。

これには親戚一同も弱りはて、この家は無事に残されたので

ある。吉村さんの四代前の主婦だという。


ゆうさんは大変な女傑だったらしく、いつも白ハチマキを

しめて台所の長火鉢の前で、立て膝になり、長セルをもって

指図していたという。出入りの者たちはあまりに怖くて顔も

あげられず、ろくに顔を覚えた人もないというほどだから、

よほどすごい女丈夫であったのであろう。こんな女にかかると

たいていおとこなんか歯が立つまい。

                      (つづく)





当主の随想 Ⅲー3 [吉村家住宅あれこれ]


事実、この家が戦前国宝に指定されたときは、はじめ奥座敷

のみを美術工芸品として、部分的に指定する考えだったが、

当時民家の再評価の機運があり、環境も含めた「民家」として

初めての指定となったのである。


欄間の透かし彫りもクギかくしも、デザインがひとつひとつ

ちがう。

奥庭には深々とハゼの落ち葉が散り敷いて、散り残った紅葉が

深紅である。立方体の手水鉢も贅肉がなくていい。


わたしはすっかりいい気分になったが、この家をお守する吉村

さんは大変だろう。

「いやー。この家にうまれたときからきめられたことで、選択

自由はなかったんですし、といっても宿命というはどの暗い

感じも持ってはおりません。

ただ、私生活と古い民家の維持とはきっぱり分けていこうと

思ってます。私生活と別に保存会をつくって、見学料などは、

そちらに入れて維持費や補修費に積み立てております。

でもわたしがこの家の保存に本腰を入れたのは三十台の半ば

過ぎでした・・」


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