屋根に穴 [吉村家住宅あれこれ]
朝から 茅葺屋根の修理を担当してくださる
業者の方が、屋根点検に来て下さいました。
客間の北のカヤに深い穴が見つかりました。
(上部中央に穴)
これを放置すると梅雨時に被害が広がる
との事で、差し茅補修をしてもらいます。
カラスが1,2本茅を遊びでもっていく程度は
許容来ても出来ても、集中的に深くほじくられるのは
大困りです。
天敵のいない地域ではカラスがどんどん増えて
いるようですね。
増えすぎない対策案はないのですかね?
花は静かに咲いています。
2023-05-04 20:58
たけのこ掘り [イベント紹介]
雨上がりの一日、「羽曳野街歩きの会」の
皆さんが、タケノコ掘りに来てくださいました。
淡竹(はちく)です。
6日ほど前にも掘ったので、数が足りるかなと
心配しましたが、約70本ほど採れました。
ついでに、竹の花入れ用にと竹を切って
お持ち帰りになりました。
足踏み用の竹も、物干し用の竹も。
いろいろな用途に竹を使っていただくのは
うれしいことです。
ご希望あればどんどん竹を使ってください。
2023-05-02 13:17
春の公開終わりました [お知らせ]
春の公開が終わりました。
桜は散ってしまいましたが、好天に恵まれ、
思いのほかたくさんの方々に来ていただきました。
こんな方も両日来てくれました。
千葉、東京、名古屋、京都、徳島などからも
沢山来てくださり、建築関係の方も多く、
コロナ明けを待っていたともらされる方も
おられました。
今回も「保存会」の皆さん、「羽曳野街歩き」の
皆さんがたくさん協力してくださり、無事終了でき
本当にありがとうございました。
2023-04-10 16:00
草刈り終わりました [お知らせ]
絶好の好天に恵まれ、吉村家住宅の草刈りと
庭掃除が終わりました。
15人ほどの方々が参加してくださいました。
庭木の剪定も、この間 庭師の方がやって
くださっています。
来週の公開が楽しみです。
(原画は縦になっているのに、アップすると横になります。
後日修正します)
2023-04-01 19:30
大木切断 [お知らせ]
またふるい庭の古い大木が切断されました。
今回は、突然枯れた槙の木の伐採でした。
それと楠が大きくなりすぎ、ご近所にご迷惑を
かけるので、一部伐採しました。
古い大木の伐採は、去年から数えると7~8本
(写真を縦横合わせたいのですが、うまく操作
できなかったです。スミマセン)
2023-03-30 17:17
今年の桜もう九分ほどです [お知らせ]
2023-03-30 16:29
2023-03-07
吉村家住宅の春の公開が下記のように決まりました。
記
日時 2023年4月 8日、9日 10時~16時
(9日は15時まで)
入場料 500円、会員無料 (事前申し込み不要)
皆様のお出でをお待ちします。
(なお、4月1日10時より、吉村家住宅の草刈り、掃除を
実施します。お手伝いいただければありがたいです。
当日可能な方は 072-938-9872 までご連絡ください)
2023-03-07 11:53
当主の随想 Ⅲー5 [吉村家住宅あれこれ]
「昭和二十六年の大修理のとき、一番熱心に働いたのも、
わたしの母なんです。 役所やら関係方面への陳情も
ひとりで走りまわりました」
吉村さんの母堂タキさんは、十六歳でこの家に嫁入りし、
しうと、しうとめのほか小じゅうとを入れると七人という
大家族のなかで、「気がきかん」といっては、いつも叱ら
れていたそうである。
むしろ気の弱い若奥さんに過ぎなかったが、戦後になると
「この家はわたしが守らんと・・」といい出し、
文化財保護修理の実現へまで事を進めたのである。
しかしタキさんはその過労のためであろう、修理の終わる
前年の二十八年二月十八日、脳溢血のため急逝した。
まだ五十歳という若さであった。
「わたしが保存活動に踏み切りましたのも、母の死があった
からなのです・・」 吉村さんはそこで声を落とした。
縄文時代、男たちは狩猟に出歩き、女たちは竪穴の巣を守り
ながら土器を作った。そんな太古から家を守るのは女だった。
それで、家霊は主婦に憑く・・という。
吉村さんがいうように、今日まで残された民家は古いみんかは、
たいてい女の力で守られてきたのにちがいない。
(おわり)
(読みにくい文章を長い間お読みいただき、ありがとう
ございました。これで、いったん休載します。
また機会があれば投稿したいと思います。)
2023-03-03 18:25
当主の随想 Ⅲー4 [吉村家住宅あれこれ]
それから、吉村さんは面白いことをいった。
「古い家はどこでもそうだと思うんですが、こんな古い家を
きょうまで持ちこたえたのは、たいてい主婦の力じゃないでし
ようかね・・」
河内平野の富裕な大庄屋であった吉村家も、明治維新では
武士に高額の金を貸していたのが踏み倒され、困窮した。
近親集まって、家も縮小することにと話し合った。
そのとき、たったひとり反対したのは当時の主婦、「ゆう」
ばあさんだったという。 「わしは近いうちにお墓にはいって
ご先祖におめにかかるが、家をこわしたとあってはどないいう
て申し開きしたらええか?お前らもそのうちお墓にはいるが
どういう気か?」と粘りぬいた。
これには親戚一同も弱りはて、この家は無事に残されたので
ある。吉村さんの四代前の主婦だという。
ゆうさんは大変な女傑だったらしく、いつも白ハチマキを
しめて台所の長火鉢の前で、立て膝になり、長セルをもって
指図していたという。出入りの者たちはあまりに怖くて顔も
あげられず、ろくに顔を覚えた人もないというほどだから、
よほどすごい女丈夫であったのであろう。こんな女にかかると
たいていおとこなんか歯が立つまい。
(つづく)
2023-02-25 18:25
当主の随想 Ⅲー3 [吉村家住宅あれこれ]
事実、この家が戦前国宝に指定されたときは、はじめ奥座敷
のみを美術工芸品として、部分的に指定する考えだったが、
当時民家の再評価の機運があり、環境も含めた「民家」として
初めての指定となったのである。
欄間の透かし彫りもクギかくしも、デザインがひとつひとつ
ちがう。
奥庭には深々とハゼの落ち葉が散り敷いて、散り残った紅葉が
深紅である。立方体の手水鉢も贅肉がなくていい。
わたしはすっかりいい気分になったが、この家をお守する吉村
さんは大変だろう。
「いやー。この家にうまれたときからきめられたことで、選択
の自由はなかったんですし、といっても宿命というはどの暗い
感じも持ってはおりません。
ただ、私生活と古い民家の維持とはきっぱり分けていこうと
思ってます。私生活と別に保存会をつくって、見学料などは、
そちらに入れて維持費や補修費に積み立てております。
でもわたしがこの家の保存に本腰を入れたのは三十台の半ば
過ぎでした・・」
2023-02-18 19:27