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当主の随想 Ⅱ-3- [吉村家住宅あれこれ]

 

父母を神仏にひとしいほどに崇敬し憧憬した 松坪は、まさに

情の人であり、平和の人であった。作品そのものでなく、画人

気質の比較でいえば、松坪こそ歴代中白眉の、一芸に打ち込

気質を豊かに持った人であろう。


終生絵筆に関すること以外、念頭になかった。というより他事

思う余地は残っていなかったとさえ言えるかも知れない。

  赤松は、画は自らの人生においては余技である観じ、その故

高雅な精神世界に到達し、晩年は悠々と別世界にあるかの如

風格を湛えるにいたった。


一方写生を基本として出発し、心情としては一貫して画人以外

なにものでもなかった松坪とは 風貌、骨格は年を追って

相似しがら、到達した境地は相隔たること甚だしい。


しかし、つぶさに見ればやはり同根であり親子であると痛感

させれる、現に松坪晩年における水墨画などの、いかに

赤松直伝の風趣であることか。

 その松坪もまた、内には明治生まれの特質を豊かに蔵して

いる思われるところが多々あった。柳の如く柔軟でありなが

ら竹の如き反発力、強靭さを備えた側面を見たこと しばしば

である。


 晩年、世間的なことは一切を 倅にゆだねてなんのためらう

ことなく、ただひたすら絵筆を揮るっていた父をただただ懐か

つつ、その生前の約を果たして、撫松、赤松の遺墨を展観

しえたこと喜びとし、併せて松坪までを追悼する結果となっ

たこと悲しみつつ、古く永く続いた画人の系譜の、最後を

承る者として感想を閉じようと思う。


━追記━ 拙文の題名ほ父松坪の日誌の表題を、そのまま用いたものである

               昭和五十四年十一月一日 記


 

        











当主の随想 Ⅱ-3- [吉村家住宅あれこれ]

 

父母を神仏にひとしいほどに崇敬し憧憬した 松坪は、まさに

情の人であり、平和の人であった。作品そのものでなく、画人

気質の比較でいえば、松坪こそ歴代中白眉の、一芸に打ち込

気質を豊かに持った人であろう。


終生絵筆に関すること以外、念頭になかった。というより他事

思う余地は残っていなかったとさえ言えるかも知れない。

  赤松は、画は自らの人生においては余技である観じ、その故

高雅な精神世界に到達し、晩年は悠々と別世界にあるかの如

風格を湛えるにいたった。


一方写生を基本として出発し、心情としては一貫して画人以外

なにものでもなかった松坪とは 風貌、骨格は年を追って

相似しがら、到達した境地は相隔たること甚だしい。


しかし、つぶさに見ればやはり同根であり親子であると痛感

させれる、現に松坪晩年における水墨画などの、いかに

赤松直伝の風趣であることか。

 その松坪もまた、内には明治生まれの特質を豊かに蔵して

いる思われるところが多々あった。柳の如く柔軟でありなが

ら竹の如き反発力、強靭さを備えた側面を見たこと しばしば

である。


 晩年、世間的なことは一切を 倅にゆだねてなんのためらう

ことなく、ただひたすら絵筆を揮るっていた父をただただ懐か

つつ、その生前の約を果たして、撫松、赤松の遺墨を展観

しえたこと喜びとし、併せて松坪までを追悼する結果となっ

たこと悲しみつつ、古く永く続いた画人の系譜の、最後を

承る者として感想を閉じようと思う。


━追記━ 拙文の題名ほ父松坪の日誌の表題を、そのまま用いたものである

               昭和五十四年十一月一日 記