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当主の随想ー2- [吉村家住宅あれこれ]

  現在の屋敷構えは、江戸期の 内屋敷 に当たる部分であるが、

約1600坪にわたって、外堀、介在山林、客室部庭園、等

を含め、母屋・客室部、長屋門、土蔵の四棟を、土塀で囲ん

構成である。そのすべてを現在では重文の指定を受けている。


建物の内、最も古い母屋・客室部が元和初頭の建設と推定され

る、長屋門、土蔵は寛政10年の改築である。

いずれも昭和の解体復元、または半解体の保存修理を終えて

三十余年、十数年を経ている.


何分にも建物は、大家族時代の遺物だから、現在では到底手が

回りかねて、ご先祖様には申し訳ないけれど最低限の手入れしか

できてない。


もともと個人ではどうにも十分な維持保存ができないからこそ 

指定を受けているので、これが当然と言えばいえる。心中まこと

に無念やるかたない思いでもある。


それはそれで、まずはわが家の建物たちのご紹介を。私なりの主観

をあえて貫きながら申し述べてみよう。


  平生は締め切っている長屋門だが、そのくぐり戸からお入り頂く

こととする。

総茅葺、入母屋のこの建物は、農村の長屋門としては古いそうで

、全体の趣がどことなく数寄屋を偲ばせる。例えば、庇の裏の

軒垂木の丸竹がリズミカルに配置されてあったり、くぐり戸が

片引き戸になっていて、門脇の供侍部屋に滑り込むようになって

いたり、いかにも当時の文化水準を物語るようだ。


                           (続く)

当主の随想ー2- [吉村家住宅あれこれ]

  現在の屋敷構えは、江戸期の 内屋敷 に当たる部分であるが、

約1600坪にわたって、外堀、介在山林、客室部庭園、等

を含め、母屋・客室部、長屋門、土蔵の四棟を、土塀で囲ん

構成である。そのすべてを現在では重文の指定を受けている。


建物の内、最も古い母屋・客室部が元和初頭の建設と推定され

る、長屋門、土蔵は寛政10年の改築である。

いずれも昭和の解体復元、または半解体の保存修理を終えて

三十余年、十数年を経ている.


何分にも建物は、大家族時代の遺物だから、現在では到底手が

回りかねて、ご先祖様には申し訳ないけれど最低限の手入れしか

できてない。


もともと個人ではどうにも十分な維持保存ができないからこそ 

指定を受けているので、これが当然と言えばいえる。心中まこと

に無念やるかたない思いでもある。


それはそれで、まずはわが家の建物たちのご紹介を。私なりの主観

をあえて貫きながら申し述べてみよう。


  平生は締め切っている長屋門だが、そのくぐり戸からお入り頂く

こととする。

総茅葺、入母屋のこの建物は、農村の長屋門としては古いそうで

、全体の趣がどことなく数寄屋を偲ばせる。例えば、庇の裏の

軒垂木の丸竹がリズミカルに配置されてあったり、くぐり戸が

片引き戸になっていて、門脇の供侍部屋に滑り込むようになって

いたり、いかにも当時の文化水準を物語るようだ。


                           (続く)