当主の随想Ⅱー6- [吉村家住宅あれこれ]
(続いて、同文集の寄稿から)
祖父の死と茶粥と
里 井 陸 郎 (赤松の孫)
私は 母と祖父のどちらの死に目にも会えなかった。
遠い田舎の高等学校に在学して、危篤の知らせを受けて、
帰るのに半日以上もかかったからである。
母は私が十七歳の年、晴嵐の吹く晩春の日に京都で他界し、
それから二年あまり後、秋深い河内野の朝、祖父は母の後を
追った。
心臓の発作で苦しんだ母とは違って、老衰の安楽な往生で
あった。
「陸ボンさんをずっと待ってはったんや」梅廼家のおとみが
勝手な想像を言って私を慰めた。
秋つ陽のかがよう野路を帰り来て瞳を凝らす土間の暗みに
船酔いに食うべ来ざりし朝飯のをそきをはめり涙ながれて
とろとろと熱き茶粥をすすりつつ涙ながれていたりけるかも
なげきつつ茶粥をすする厨辺の天窓の上の深き空かも
厨辺に膳片寄せてわがすする茶粥は秋のさびしさなるも
蒼き空果てしもあらずふかまりて秋の最中のわがなげきかも
(昭和十七年作)
祖父の死を詠んだ後年の連作である。
その日の朝は空が澄みきっていて、夜の船旅に眠りの足り
なかった私の眼には陽の光が眩ゆすぎた。そして、あの冷え
冷えとした上がり框の土間に佇って、しずもった家の気配を
たしかめようとした時の、立ち昏みにも似た一瞬の暗がりの
ことが、いまだにありありと思い返されてくるのである。
そして、この暗がりの記憶は、高鷲駅とか後には恵我之荘の駅
から野路を越えて吉村邸にたどりつくときの、いつものあの
「母の生家」の感触そのものに違いなかった。
奥まった軒の深い庇からとどく光は乏しいが、そこには、
私たち母子を待ち迎えている安らかなぬくもりがあった。
息を吹きふき啜った茶粥のなつかしい味と香りは、今も身に
沁みついてはなれない。
(つづく)
2023-02-06 11:31