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当主の随想Ⅱー7- [吉村家住宅あれこれ]


母が島泉に帰るとき私たち末の子どもを同伴しないことは、

おそらく一度もなかった。

とくに長い夏休みの殆どをそこですごすことをが恒例となって

いたから、母の帰った後でも、吉村邸はわがもの顔にふるまえ

気ままなすみかであった。


それにしても、母の帰郷はそんなに始終あるわけではなかった

から、祖父や祖母が愛する一人娘と、その子たちに示す歓待

ぶりは、どんなに熱いものであったことか。

納戸の陰でこっそりお八つを食べさせらりたりもした、

そんな祖母偏愛が、いとこ達への気持ちの負い目に知らず

知らずになっていたことなど、今だから書いてもいいだろう。


それは、嫁家先での心労の多い一人娘へのふびんさといたわり

の、裏返しであったのだから、みんな大目に見てくれるだろう。


けれども祖父の場合は少し事情がちがった。祖父には風貌にも

気質にも一徹な古武士の風格があった。

世間知らずで、案外無邪気なところがあったけれど、愛情の

表現がぎこちなくて幼い孫たちの気おくれと面映ゆさを誘った。


そんな祖父が時折思い出したように、臥遊軒(祖父の画室)へ

外孫を呼び寄せ、到来物の羊かんを大切そうに切って食べさせ

ことがあった。けれども、とっておきの羊かんが こちこち

に乾いていたりかびくさくなっていることに気がついて

いなかったか、頓着しなかったのか、どっちにせよ、正座して

羊かんをいただくときの、有難迷惑といっては無かったので

ある。

                                  (つづく)