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当主の随想Ⅱ-2- [吉村家住宅あれこれ]


 さらに、「陳列」という独特の形があった。

果物など頂くと、必らず画室の床の間に飾って眺めることを 

楽しんでいた。

時として、腐ってしまうまでお下げ渡しにならぬこともあり、

まず大抵は変形直前まで陳列されていたものである。

 この陳列品を もののみごとに処分してしまえる人が一人だけ

いた。 「北村の伯母さん」と呼んでいた赤松の姪である。

姪の母(赤松の姉・日置家)が早く未亡人になって、わが家に戻って

いたので、北村の伯母の里帰り先はわが家であった。


やってくると忽ち、子供たちを呼び集めて陳列品の大盤振舞いで

あった。 かって「北村王国」とさえ言われた北村家は泉尾新田

を開拓し、難波周辺に広大な土地を持っていた家の主婦らしく、

実におおらかな人柄であった。いかな祖父もこの人には参って

いたようで、「こりゃかなわんな」と苦笑いしながら見守っていた

ものだった。


昭和九年の秋、眠るが如くであった赤松の大往生は、古き良き時代

の終末を告げるものでもあった。

赤松の死とともに、古い家系に残されていたもろもろの伝統、習慣

は殆どすべて消滅したと言っても過言でない。

それは、何よりもまず、父松坪は赤松とは全く対照的で、
天衣無縫、固苦しいこと、形式ばった言動を最も嫌う人柄で
あったせいでもある。

                         (続く)