当主の随想ー5- [吉村家住宅あれこれ]
居室部中央の仏間に今も神仏を祀るのは、われわれ家族の
心意気の表われでもある。
修理前にこの部屋で、解体修理担当の浅野清博士と対談し、
「復元修理の意義と価値ある保存修理」に関するお話を聞き、
とても感動した。お話の内容を今もなを昨日のことのように
思い出す。
素材の古さより、様式の古さを伝えることの意義は、年とともに
深く理解できるようになったが、わが家以降の民家修理がすべて
「復元第一」でなされているように見えるところから、疑問が
出てくるのである。
100%の復元は恐らく不可能であろうし、修理後も住み伝えたい
と望む所有者家族もあろう。 とすればもっと弾力性のある方向
も必要でないか。監督官庁としての方針を主体とするばかりでなく、
所有者と対等立場で話し合う姿勢、という面がもっと強く前面に
出てこないものかと行政当局に要望したい思いも生じる。
現実には補助を受ける立場としての所有者はまことに弱いもので
あるだけに・・・
さまざまの想念を抱きながら客室部に入ると、皮肉なことに、
殆ど立ち入りを許されなかった幼いころの記憶のままにここに
残っている。
面取りの床柱、壁面の絵、襖の絵、杉戸の絵、透かし彫りの欄間、
付け書院の銅鑼、襖の引手や釘隠し、障子の桟に至るまで、
さりげなく変化の妙を見せながら、全体としては簡素な趣を湛え
ている。これが数寄屋風書院造りの手法だろう。
細部にまで意匠を凝らしながらも、おおらかな骨太い造形感覚で
貫いた構成に、言い表しようのない魅力を感じる。
このようなのびやかさを楽しんだ人を先祖に持つことを誇りにも
思い、またこれを守ることの喜びを感じる。
(続く)
2022-12-23 11:37