SSブログ

“忘れ残りの記”または古家あるじの“譫言(うわごと)” 5 [古家あるじの“譫言(うわごと)”]

 思い出―「全国重文民家の集い事始め」のころ

 昭和40年代に入るまで民家の指定はごく少数であった。日常生活にさほど大きな変化は生じない反面、平生の維持保存は全く所有者の負担であることも変わりがないのだから、“お上”との煩わしいお付き合いは避けて静かに自分の手で保存していこう、という所有者もあったとか、ややこしい文化財指定候補になろうという家は少なかったとも仄聞したように思うが、一つには評価の基準が厳密過ぎたのかも知れないし、指定されても難儀なことが増えるばかりと認識されていた面があったかも知れない。それが昭和40年代中頃だったかと思うが、“滅び行く民家”という見出しのグラフ雑誌が登場したりしてマスコミが華々しく取り上げ、文化庁が緊急調査を実施するなどのことがあったせいか、指定民家が急増した。

 これぞ大きな契機と、出しゃばりが大阪・奈良の有志所有者に声をかけたところから、現在の“NPO法人全国重文民家の集い”の成立に至ったが、30年余りの年月の流れは 思いの外に早かったなと、今更ながら驚いているような有り様ではあるのだが。